草WCCF
WCCFというアーケードゲームを軸に、Jや欧州等のリアルサッカーの話題とか、全然関係ない話とかをするところ。初めての人は「はじめに」みといてね。
201704<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201706
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
自由すぎた天才
イギリス発4人組ロックバンド、ビートルズ。後の音楽の歴史を変えた彼らは当時の若者から絶大な人気を博した。
過去類を見ない音楽性やそれまでと比べ反社会的な歌詞、長髪など奇抜なファッション等がその一因と言われている。
そんな彼らがレコードデビューした1年後、弱冠17歳でプロデビューを果たしたサッカー選手がいた。
ビートルズ同様、端正な顔立ちと破天荒なライフスタイル、そして歴史上を見ても突出した才能を持ったその若者を、人々は「エル・ビートル」5人目のビートルズと呼んだ。
[自由すぎた天才]の続きを読む
スポンサーサイト
しあわせのかたち
サッカーという競技は、その激しさから格闘技だと言われる事がある。時には「戦争」だとも言われる。
だがズボニミール・ボバンは言う。「サッカーは戦争だ、などと言えるのは、本当の戦争を体験していないものだけだ」と。
クロアチア人であるボバンはユーゴスラビアからの独立戦争に、フットボーラーとしてのキャリアを妨害された人間の一人だ。
内戦から始まり広まった戦渦に、運命を狂わされたユーゴスラビア(特にセルビア)人選手は数多い。選手としてだけではなく、人間としても。
これはその中で最も才能に恵まれた男の、強く、悲しく、美しい一部始終である。

1994年末、サッカーの神様ペレはマスコミに「現在世界最高のフットボーラーは?」と聞かれ、こう答えた。
「ロマーリオ、ロベルト・バッジョ、そしてストイコビッチだ。」
永遠の少年
彼は「KING」と呼ばれた。
彼は日本サッカー界に多くの喜びと栄光をもたらした。だかそれと同等、あるいはそれ以上の失望も経験した。
彼は多くの人間から尊敬を集めた。そして多くの人から同情もされた。
彼は非常に多くの挑戦をした。その中には成功もあった。失敗もあった。
彼は時にサポーターから多くの非難を浴びた。しかしそれとは比べ物にならないほどの多くの喝采と賛辞を浴びた。
彼は今でも「KING」と呼ばれている。
開拓者
1980年代後半、日本サッカー協会に激震が走った。当時FIFAの代会長であったジョアン・アベランジェから、近い将来でのワールドカップ日本開催を打診されたのだ。
それ以降サッカーを取り巻く環境は激変し、それまで燻っていたプロリーグ化も実現に向けて急激に進んでいった。
1993年5月15日、ついにJリーグが開幕。
以降日本サッカーはめまぐるしい進化を見せ、日本代表もそれまでに比べれば遥かに好成績を残している。
一方個人としても、国内のみならず海外、特に欧州屈指のリーグへ挑戦する選手が何人か出てきた。
しかし、トップレベルの舞台で彼ほどの実績を残した選手は少なく、彼ほど長く一線で活躍した選手は現れていない。
彼はJリーグ開幕の5年前に現役を引退しており、その時代唯一の欧州挑戦者であり、唯一の成功者である。
日本の神話
サッカーの世界には数多くの天才が存在するが、ブラジルやアルゼンチンなどは「天才」を冠する選手が非常に多い。
そんな中で、世界的に無名な弱小国から超一流の選手が排出される、「突然変異」とも呼べる選手が、非常に稀ながら存在する。
代表格は、北アイルランドという小国出身ながら「世界初のフットボールスター」と呼ばれるほどの脚光を浴びた名手、ジョージ・ベストだろう。
今日まで北アイルランドからはベストと同格の選手は現れておらず、今後もその可能性は非常に低いと思われる。
この「突然変異」は、幸運なことに日本にも起こっている。まだ日本にプロサッカーという概念が無かった時代。彼は現れた。
そして不幸なことに、当時と比べ圧倒的に環境が整った現在になっても、彼と同等の評価を得た日本人は現れていない…
copyright © 2004-2005 Powered By FC2ブログ allrights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。