草WCCF
WCCFというアーケードゲームを軸に、Jや欧州等のリアルサッカーの話題とか、全然関係ない話とかをするところ。初めての人は「はじめに」みといてね。
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神に愛されなかった男
ドイツサッカーのイメージ。「ゲルマン魂」とも呼ばれる無類の勝負強さを誇り、大舞台で確実に結果を残す強豪国。
そんな堅実なサッカーというイメージがあるドイツは、意外にも(と言っては失礼だが)テクニックに優れたスキルフルな選手を多く排出している。
ネッツァーやシュスター、エッフェンベルクにルンメニゲにリトバルスキーなど。
これから語る選手は、その系譜を受け継ぎ母国を栄光に導くはずだった。それほどの才能を秘めた選手だった。
しかし彼はドイツの特徴である大舞台での勝負強さを発揮することが出来ず、超一流の評価を得ることが出来なかった。
サッカー界では才能だけでは頂点へ上り詰めることは出来ない。それを象徴するような悲運の選手である。
 第16回 メーメット・ショル

小柄ながらスピード溢れ、高等なテクニックで意のままにボールを操り、相手DFの間の狭いスペースを縫うようにすり抜ける、タックルを仕掛けるDFをあざ笑うようにかわすドリブルが最大の武器。
更にその中から繰り出されるパスも抜群の精度を誇り、FKの精度は当時世界屈指とも呼ばれた。
エリア外からゴールに叩き込む決定力も十分だったし、GKの頭上を越えるループシュートも得意としていた。
これらの特徴はファンタジスタの名を冠するに十分足るものでありながら、ショルはトップ下でもサイドでも同等の実力を発揮出来るユーティリティ性も備えていた。
高度且つ万能な攻撃性能を持つショルに、ドイツ代表の将来はこの男に託されたと言っても良い程だった。
しかし…

トルコ人とのクォーターであり5歳の時に両親が離婚、母親の再婚相手の名字からメーメットとなったショルは、そのまま地元のクラブ、カールスルーエSCの下部組織に入り89-90シーズン終盤にトップデビュー
このデビュー戦でいきなりゴールを記録、翌シーズンからチームの主力として奮闘した。ちなみにこの時期、カールスルーエSCの同僚にはオリバー・カーンがいた。
その活躍がバイエルン・ミュンヘンに止まり92年、カーンよりも2年早く国内最高の名門への移籍を果たす。
ほぼ同時期にチームに加わったディトマール・ハマン、クリスティアン・ツィーゲらと共に、強豪バイエルンの地位をより強固なものとした。

バイエルンはショルが加入して以降、94-95シーズンの6位、そしてショルが引退した06-07シーズンの4位を除き、常に3位以内をキープしており国内では向かうところ敵無しのクラブだった。
そんな強豪のエースとして迎えられたショルであったが、その実力を存分に発揮したとは言い難かった
上位のクラブを相手に、中小クラブはまず守備を固める。下位クラブの徹底マークや容赦のないタックルで、相手を引きつけてかわすスタイルのショルは多くの怪我を経験した。
更に思ったことをすぐに口にするショルはサッカーとは関係のないことで訴訟を起こされたり、ショル自身の性格にも若干難があった
度重なる負傷でクラブから放出されるという話を聞きモチベーションを下げるなど、精神的な部分にも問題があったらしい。

しかし万全な状態での彼はどんな相手にも脅威を抱かせる程の存在であった。
95年に代表デビューをすると、EURO96では最終メンバーに選ばれ優勝に貢献
だが代表では以降表だった活躍は出来なかった。
98年W杯時にはベテランを多く起用する監督の意向によりメンバー漏れ
EURO00では守備的なポジションでしか起用されず、本来の持ち味を出せぬまま「過去最低のドイツ代表」の象徴と酷評された。
EURO00後ショルを本来のポジションに据え代表再建に取りかかるも怪我に泣き、02年W杯に出場すること叶わずそのまま代表を引退。

代表では中心にはなれずW杯こそ縁がなかったものの、EUROというビッグタイトルを獲得したメンバーとして名を刻んでいる。
一方クラブチームでは細かい故障こそ多かったものの、攻撃を牽引する中心選手として数多くのタイトル獲得に貢献している。
実にリーグ優勝8度DFBカップ5度、更にはUEFAカップUEFAチャンピオンズリーグも1度ずつ獲得している。
個人タイトルはないものの、2000年にはブンデスリーガ全選手の投票による、ドイツ年間最優秀選手にも選出されている。観客よりも同業者こそが彼の才能を高く評価しているということだろう。
しかしショルには、歴史に残る大一番に置いて試合を決める輝きを放ったことが一度も無いまま、同業者や専門家にだけ評価される選手として現役を終えることになる。

ショルが最も歴史に名を刻むチャンスがあったのは98-99シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、バルセロナで行われたバイエルン・ミュンヘン対マンチェスター・ユナイテッド戦。
試合は開始早々にバイエルンが先制。その後も終始攻め続けるも追加点を奪えずにいた。
ショルはスタメンではなかったものの後半26分に途中出場。マンUにトドメを刺すべく送り出された。
数分後、ゴール前でボールを受けたショルは実に彼らしい芸術的なループシュートを放った。GKシュマイケルはジャンプするも届かない。着地したシュマイケルからは諦めが感じられた。
しかしボールはポストを直撃し、そのままシュマイケルの手の中に収まった。
そして追加点が奪えぬまま迎えた後半ロスタイム、マンUは3分間に2本のゴールを決め、世紀の大逆転を演じて見せた。
同点の瞬間、ゴールを決めたシェリンガムについていたのはショルだったが、シュートの瞬間何故かショルはシェリンガムから離れてしまった。

バイエルンは2年後にPK戦の末チャンピオンズリーグ制覇を果たすが、ショルは延長後半終了間際に退き、歓喜の瞬間をベンチで迎えた。
それ以降はいよいよ寄る年波と故障に悩まされ、スーパーサブとしてチームに貢献し続けるも、2007年に現役を退いた。
ショルには「ガラスの天才」という、名誉とも不名誉とも取れるニックネームが付けられていた。



マンU側にはカンプノウの奇跡、バイエルン側にはカンプノウの悲劇と伝えられるあの試合。
もしあのループシュートが決まっていれば、粘るマンUに鮮やかに引導を渡した天才として更に評価を高めたかもしれない。
もしシェリンガムのシュートを身体を張って止めることが出来ていれば、最後の反撃を防いだ英雄と崇められていたかもしれない。
ショルが超一流になるために足りなかったもの、それはここ一番で真価を発揮する勝負強さ…いや、サッカーの神様の気まぐれだったのかもしれない。
勿論並のフットボーラーが羨む程の功績は残しているが、同年代で同じポジションながらバロンドールを獲得するなど順調にスターダムを駆け上がったジダンやフィーゴとは対照的なサッカー人生だったと言える。
ある人は、ショルにはジダンら程の才能が無かったというかもしれない。勿論その可能性も否定しない。「才能を比べる」という難題に、共通の答えを持つことは難しい。
疑問を持つならば答えを体験してみることを勧める。ショルがどれほどの才能であなたのチームの助けとなってくれるか。たかだかゲームではあるが。
リアルで無念だった選手に再び飛躍の場を与える、そんな楽しみ方もWCCFの魅力の一つではなかろうか。
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